市川 知也

ACTIVITY

HOMESTAY

「静寂閑雅」を旨として、空間に穏やかな調和を添えるガラスづくり

滋賀県出身の市川さんは、大阪の町工場でガラスのキャリアをスタートさせ、宮崎の「グラスアート黒木」でガラスづくりのベースを構築。そして、現在は「富山ガラス工房」にて、静謐な「和」の世界観を感じさせるガラス制作に、日々取り組んでいます。

 

テーマは「静寂閑雅(せいじゃくかんが)」の表現。市川さんがどのような道を経て、そのテーマにたどり着いたか、また、これからどういった作品を作っていきたいかなど、さまざま、お話を伺いました。

 

——————————————————

「引き算」することで出会った、「静寂閑雅」の世界観

—まずは市川さんのガラスづくりへのこだわりや想いについて聞かせていただけますか?

 

ぼくは自分なりの「和」のテイストを表現しようと心がけていまして。「静寂閑雅」という言葉があります。

 

京都のお寺に流れているゆるやかな雰囲気を想像してもらえるとわかりやすいと思いますが、日本人の持っている精神文化というか、ゆったりした空気感や時間を楽しめる心の豊かさというか。これはあくまでもぼくの解釈ですが、そういった「静寂閑雅」のイメージをガラスにのせて、作品を作っています。

 

—「静寂閑雅」という言葉の、「静寂」や「閑」の字からはひっそりとした静けさが想起されますが、最後の「雅」という字からは、種類の違う煌びやかなイメージを感じますね。ちょっと複雑な、多義性のある言葉のようですが。

 

そうですね。まさにそうだと思います。ベースは、利休の世界のような、苔むした庭に一輪の椿がぽとりと落ちる、といったような静謐な世界観なのかなと思います。そして、その落ちた椿が静かに湛える光に、穏やかな雅さを感じるといった。

—なるほどなるほど…。とても美しい世界観ですね。では、そういった「静寂閑雅」のイメージをご自身の作品に取り入れようと思われた、きっかけのようなものはあったのでしょうか?

 

ぼくは宮崎県にある「グラスアート黒木」という工房に15年間勤めていたのですが、そこでお世話になった黒木国昭先生が「日本の美」というものを強く意識した作品を作られていて、それに大きく影響を受けました

 

—黒木先生との出会いが大きかったんですね。ちなみに、黒木先生の作品の、どのようなところに触発されたのですか?

 

圧倒的な存在感に、ですね。作品を見るだけで、「ああ、黒木国昭だ」という。多彩な色が使われていて、まさに絢爛豪華という言葉がぴったりな作品群です

 

黒木先生の作品は、絢爛な日本の美を遺憾なく表現された華やかなものが多いですが、それを学びながらも、ぼくは自分なりの「和」のテイストを探し求めていました。黒木先生は、あれだけ多彩な色を使ったカラフルな作品を作られていますが、「なんでも、必ず引き算しろ」とおっしゃいます。ぼくも、今でこそ「静寂閑雅」などと言っていますが、その作風にたどり着いたのも富山に来てからのことでして。それまでは、何を作っても黒木先生のお弟子さんだと、周囲からはまるわかり(笑)。

 

—ははは。

 

今でもそうなんですけどね(笑)。でも、そういう風に周りから頻繁に指摘されると、「それって、なんかあかんのかな」って。自分ではいいと思ってやっていたのですが、「やっぱり、黒木先生のテイストですね」なんて言われると、その「やっぱり」が気になっちゃいまして(笑)。

 

そこで、その「黒木色」を抜くことが富山に来てからの最初の作業になりました。で、どう抜いていこうかなと模索していると、そこでもやっぱり、黒木先生の教え(笑)。引き算していく。元のベースは黒木先生に教わったことで、それはもう動かしがたいものです。でも、そこから引き算して、削いでいったら、その土台の真ん中の方にあるものは「自分」なのかな、と

 

そして、迷いながら削ぎ落としていく過程で、「あ、これか」と思えたものが、「静寂閑雅」でした。はじめから「静寂閑雅」を目指した、というのではなく、試行錯誤しながら、手探りで「引き算」していく中で、偶然、それに出会えた、という感じです。

バックグラウンド、そして歩んできた道について

—黒木先生のお話も出ましたが、市川さんは、ガラスと出会って今に至るまで、どのような道を歩まれてきたのでしょうか?

 

ぼくは美術系ではなく、普通の大学出です。当時、就職超氷河期で、それに、もともと、ネクタイ締めて仕事をすることにも抵抗があって、多分、就職してもすぐ辞めるんやろな、と。でも、大学出てすぐアルバイト生活ってのも、さすがにかっこ悪い(笑)。

 

どうしようかなと考えていたのですが、シンプルに「何が好きか」という観点で選んでみようと思ったんです。自分で選んだことって、やめにくいじゃないですか。「自分でやる言うて、やめとんのか」って。

 

それで、「ガラスって綺麗やな、昔から好きやったな」ということで、ガラスの道を志しました。でも、全くの未経験でしたから、とにかく、雇ってくれるところを探すという感じでした。ようやく採用してくれたところが、大阪の町工場。その町工場に入って、はじめて、「宙吹き(吹き竿に溶けたガラス種を巻きつけて、宙で吹きながら成形する技法)」と「型吹き(木製・金属製の型に、溶接したガラス種を吹き込む技法)」の違いを知ったりと、本当にゼロからのスタートでした(笑)。

—ガラスの道に進もうと思った時、ぼんやりとでも、将来こういう作品が作りたいな、というのは思い描いていたんですか?

 

いえ、ぼくは自分の作品を作りたいというよりも、職人になりたいと思っていたんです。でも、町工場でプロダクトを作り続けていると、それなりに欲が出てきます。そこでは、「型吹き」しかできないし、「宙吹き」で色んなものを作ってみたいな、なんて思ってはみるのですが、それでも、そのイメージは漠然としたものでした。

 

その町工場で2年を過ごし、徐々にできることも増えてきたので、そろそろステップアップしようかなと思い、黒木先生の工房の門を叩きました。たまたま空きがあったもので。とにかく、入れたのが嬉しかったですね。分業の世界なので、いきなり「宙吹き」の工程に携われるわけではなかったのですが、長い目で見ることにしたんです。

 

そうして、じっくりと年月をかけながら出来ることを増やしていきました。ぼくの中では、とにかく黒木先生がナンバーワンなので、自分の作品づくりというよりも、先生の元で働かせてもらうことに誇りを抱いていました。その一方で、先生の作品を目の当たりにしていくことで、自分だって、という欲が膨らんできたのも事実です

 

そんな時に、ここ「富山ガラス工房」を知りました。

 

—やはり、ご自身の名前で作品を世に出したくなったんですね。

 

そうですね。はじめは黒木先生の作品づくりのお手伝いができれば、それで満足だったのですが、人というものは欲深いもので(笑)、ご迷惑をおかけしたのですが、辞めさせてもらいました。

 

—では、ご自身の作品づくりというものは、富山に来てからはじめて?

 

そうなんです。本当にはじめてで。黒木先生の工房で、一通りのガラスづくりは経験してきたつもりだったのですが、富山に来たら、他にもまだ知らない技法がたくさんあって、びっくりしましたね(笑)。

 

—現在、お皿などのテーブルウェアを中心に制作されているとのことですが、それに絞った理由などはあるのでしょうか?

ぼくのバックボーンは、何といっても黒木先生の工房での経験で、「宙吹き」がメインになります。そうなると、自然とテーブルウェアや花器に絞られてくるんですね。

 

でも、いざ自由な創作の場が与えられて、「よっしゃー」と意気込んで制作を始めてみたのですが、何を作っても同じものしか出来なくて。アイデアノートはたくさんつけていたんですが、作ってみると、全部おんなじ。違いがどうしても出せませんでした。設備も違う、ガラスの質も違う、分業ではなく個人作業と、もう何もかもが違うんです。富山に来て1年くらいは、ひっちゃかめっちゃかでしたね。

 

とにかく、自分が今まで大切に抱いていたアイデアが、たかが知れたものだったということが、ショックでしたね。まずは、1年かけて自分の作風を固めなきゃいかんということで、テストテストの毎日でした。

 

そして、自分の作品が求められるものになっているか、質が上がっているかの評価軸を固めるために、たとえば「高岡クラフトコンペ」や「日本伝統工芸富山展」などの公募展に出展することにしたんです。この挑戦は、自分の作品づくりを始めて2年目からのことです。そこで少しでも評価されれば、その作品をひとつの評価軸として、さらにブラッシュアップを重ねていく。その繰り返しで、現在に至るという感じです。

富山という土地、環境が与えてくれた影響

—富山という土地に来て、あるいは「富山ガラス工房」に来て、何か影響を受けたことはありましたか?

 

宮崎にある黒木先生の工房は、完全に職人の世界。失敗というものは、絶対に許されないことでした。常に“厳しさ”がベースにあって、成功して、はじめて喜べる。でも、「富山ガラス工房」では、みんなニコニコしながら仕事をしていて、“学ぶ・楽しい”というのがベースにあるように見えました。どちらが良い・悪いではないのですが、ここでは、“攻めた失敗”ができるというのが素晴らしいなと思いました。「ここまでやったら、割れるかな。でも試してみたいな」という、探求の上での失敗からは、“ポジティブな反省”が生まれます

 

ここで学び、制作している子らは、とにかく前向きで楽しそうで、それがぼくには衝撃的でした。作品には人柄が出ますよね。前向きに楽しんで作られた作品こそ、多くの人に親しまれるんじゃないかなって、ここに来て強く感じるようになりました。

もう一点。ぼくは滋賀で生まれて、大阪、宮崎と過ごしてきたのですが、富山に移ってきて、この土地の持つ“白色の美しさ”に心惹かれました。

 

まず、雪の白。夜、明かりもないのに、明るく周囲を照らす雪の美しさに驚かされました。そして、5月に梨畑を覆う梨の花の白。梨畑の白は、まるで白い桜が一面、咲き乱れているかのような絢爛さです。ほんと、めちゃくちゃ綺麗。立山の冠雪の白もそうです。それら「富山の白」に、色使いの面などで、大きな影響を受けました。富山に来てから、明らかに、白を使うことが増えてきていますね。

空間をやさしく調和させる、そんなガラス作品を

—それでは最後に、これからの作品づくりについて、ビジョンや夢などを聞かせていただけますか?

 

そうですね。やっぱり、「静寂閑雅」の道を突き詰めていきたいですね。ひとつの「和」テイストのものを、高岡とかの職人さんたちと協力し合いながら作る機会がもらえたら刺激的だな、なんて思います。ぼくがお手伝いできることなんて微々たるものですが、寄り添い合っていけたらなって。

 

本来、何を作るにしても、ガラスだけで完結することはありません。例えば、食卓に配される器にしたって、木や土などさまざまな素材の製品が組み合わされて、食卓の用(ニーズ)をトータルに満たしていきます。もともと日本には、ガラスだけですべてを賄うという文化はなかったと、ぼくは思っています。懐石料理の中の“一部”にガラスが使われているから、料理を引き立てることができるんです。全てがガラス製品だったら、きっと懐石料理の魅力を減じてしまうのではないでしょうか。

 

一緒に並べていただいて、“調和”が生まれるもの。異なる素材のものとの同一空間にあって“調和”がとれる、そんな作品づくりを目指していきたいと思っています。

 

 

————————————————————————

 

市川 知也(いちかわ ともや)

 

「静寂閑雅」を旨として、空間に穏やかな調和を添えるガラスづくり。

 

[所属]

富山ガラス工房

 

[略歴]

1974年 滋賀県生まれ

1997年 朝日硝子製作所所属

1999年 国の現代の名工・黒木国昭氏に師事、グラスアート黒木所属

2013年 富山ガラス工房所属

 

[受賞歴]

2014年 日本伝統工芸富山展 高岡市長賞、伊丹国際クラフト展 入選、富山市美術展 奨励賞

2015年 テーブルウェア大賞プロ部門 入選、日本伝統工芸富山展 奨励賞

  • プロフィール
  • レビュー
仕事
ガラス作家
ホームステイの受入れ
受け入れ不可
性別
男性

和が感じられた。


PAGE TOP